『ハーレムとブックエンド』とは(タイトル編)

 

お疲れ様です、横林大々です。

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先日制作中断を発表した『ハーレムとブックマーク』ですが、代替作のタイトルが決定しました。
その名も『ハーレムとブックエンド』

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この『ブックエンド』と『ブックマーク』を代えただけにも思われるタイトルに、中断してまで変更した意味が分からないという意見も出るかもしれません。 

それは、本当にその通りなので甘んじて受け入れるつもりです。

(こちらとしては一応意図はあります)

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ちなみにブックマークはネットのお気に入り機能だけでなく『栞』という意味があります。というか 、こちらがネットのブックマーク語源。

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ブックエンドはこれですね。

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今回、当記事では『ハーレムとブックエンド』というタイトルの意味と、物語の大枠(どんな内容なのかをざっくりと)を説明出来ればと思います。

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『ハーレムとブックマーク』制作中断のお知らせ

 

お疲れ様です、横林大々です。

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昨年度から取り組んできた作品『ハーレムとブックマーク』なのですが、夏休み中の完成を計画だてて見事に大失敗してしまったことへのお詫びと、また『ハーレムとブックマーク』とはどのようなお話なのかについての説明を、制作中断の経緯を交えながらお伝えしたいと思います。

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『どんなときも。』って応援歌としては、なんか歌詞暗すぎじゃないですかって話をさせて下さい。

これは、『どんなときも。』って応援歌としては、ちょっと歌詞暗すぎじゃないですかって記事です。

(同時に、にも関わらず自分たちの心に沁み込むのはなんでなんだ、という記事でもあります)

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 ・歌詞の天才『槇原敬之

 

 

以前、このような記事を書いた程、私は槇原敬之さんが好きです。

 

槇原さんの魅力と言えば『歌詞』。

そう、圧倒的な『歌詞』です。

 

私の好きな曲に『PENGUIN』というものがあります。

その歌詞、特にAメロの初めを見てもらいたい。

PENGUIN

PENGUIN

  • provided courtesy of iTunes

 

製鉄所のコンビナートは 赤と白の市松模様

君に見せるつもりだった ロケットの模型と同じで

もう君にも 見せることもないし この道も二人じゃ通らない

話もして キスもしたけど 出会わなかった二人

 

 

もはや、歌詞が『文学』。

一発目の歌詞に『製鉄所のコンビナートは 赤と白の市松模様』なんて言葉を紡ぎますか、普通。『製鉄所のコンビナート』ですよ、しかも『赤と白の市松模様』なんて比喩表現に繋げてるってどんなセンスをしているのか。

 

で、二行目の『君に見せるつもりだった ロケットの模型と同じで』がラブソングで定番の『共感』(あるあるです)からギリギリアウトくらいの表現なんですよね。というか凄い単語だな、これ。赤と白の市松模様のロケットの模型て。

マッキーの歌詞は固有名詞が『固有』という感じで形を伴って言葉として出てくるのですが、この固有名詞が『固有』過ぎるところに彼の詩の魅力が詰まっています。つまり『ないない』過ぎて、この歌が『アイデンティティを持った一人の男の人生』を追体験しているような感覚を伴うのです。圧倒的キラーフレーズ力。

 

しかし、『ないない』を挟んだ後にはサビで

 

誰も許してくれないなら 一緒に逃げようって泣いたよね

 

と歌い上げて、しっかり『許されなかった恋愛』としての共感(あるある)を挟むという。

インパクトと共感のツインタワー。

盤石。盤石で文学。無敵。

(本当に切ない歌なので是非聞いてみてください)

 

 

歌詞でいえば『手をつないで帰ろ』なんかも素晴らしいです。 

手をつないで帰ろ

手をつないで帰ろ

  • 槇原 敬之
  • J-Pop
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 

Aメロの初めから

 

君はナポレオンフィッシュ

水槽にへばりついて

何度呼んでも 降り返ってくれない

 

という『ナポレオンフィッシュ』という、ごつい単語で脳天をぶち殴ってきます。

すごい、ほのぼのした曲調なのに。なんというインパクト。

ですが、その後に描かれるのは水槽にへばりつく、何度読んでも振り返らない恋人の存在。一気にドラマが加速します。

その後の歌詞も是非見てください。

 

ほかの女の子に

ちょっと見とれてただけなのに

「ちょっとじゃないよ」って言うために

一回振り返っただけ

 

初めてのデートなわけじゃないけど

二人で見る人混みや街は特別で

 

読ませるねえ。読ませるねえ、マッキー。

 

マッキーの歌詞は『短編小説』です。物語性のあるエンターテイメント。

特に90年代に作られた珠玉のラブソングたちは掌編小説と言ってもおかしくありません、本当に。

表現が文学で、共感を呼んで、ドラマ性もしっかりと立っていて、これを小説と言わずしてなんと形容するのでしょうか。

 

そして、この『手をつないで帰ろ』は、サビのインパクトが絶大なのです。

 

なぁ こっちむいてーな

なぁ 機嫌なおしてーな

僕らの日曜日は夏休みほど長くない

なぁ こっちむいてーな

今君がどんな顔してるか

水槽の魚たちしか 知らないなんて

 

……ちょっと、かわいすぎませんか、この関西圏カップル。リア充末永く爆発しろって伝えたくなりますね。

(『僕らの日曜日は夏休みほど長くない』←ここの歌詞が完璧すぎます)

  

 

他にも『モンタージュ』『LOVE LETTER』『軒下のモンスター』『hungry spider』『24hr Supermarket』など歌詞が好きな歌を挙げればきりがありません。

(『線路沿いのフェンスに夕焼けが止まっている』なんて歌詞が、ばんと出てくるのが槇原敬之というアーティストの楽曲なのです。最高。)

 

 

 

 

・代表曲『どんなときも。』

 

さて、そんな槇原敬之の代表作と言えばどの作品でしょうか。

世界に一つだけの花』?

『もう恋なんてしない』?

 

いえいえ、それは、もう勿論、この歌です。

『どんなときも。』

 

(若い)

 

どんなときも。

どんなときも。

  • provided courtesy of iTunes

(引くぐらいカバー曲が存在しています) 

 

『どんなときも。』と言えば、応援ソングとして有名過ぎるくらいに有名な楽曲。

24時間テレビでランナーを応援するときなんかに『負けないで』に並んでよく歌われていますね。

槇原敬之は、この『どんなときも。』をもってして、第一線に躍り出たと言っても良いでしょう。

 

さて、『どんなときも。』が発売された1991年前後には、今でも有名な応援ソングがずらりとリリースされています。

例えばKANの『愛は勝つ』 

愛は勝つ

愛は勝つ

  • Kan
  • ポップ
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 他にも大事MANブラザーズバンドの『それが大事』

それが大事

それが大事

  • provided courtesy of iTunes

など。

ここからは生まれて一歳ごろの話なので憶測でしかありませんが、おそらくバブルというものがはじけ、不安定な時期に『がんばれ』と言った言葉が、世相に夏場のポカリみたいに染み渡ったのでしょう。特に先行きの見えない若者には真っすぐに響いた、と。

 

僕も幼少の頃から、この曲を知っていて暇さえあれば口ずさむような日々を過ごしていました。

「どんなときもーどんなときもー」と。

僕が、槇原敬之の楽曲に触れるきっかけも間違いなく、この曲からです。

 

 

 

 

・応援歌『どんなときも。』

 

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(松岡修造) 

 

しかし、です。

大人になって改めて『どんなときも。』をしっかりと聞いてみた時に、一つの疑問が浮かび上がりました。

「応援歌のわりに、歌詞が後ろ向き過ぎないか」と。

 

ZARDだってサビでは

負けないでもう少し

最後まで走り抜けて

と歌っているわけです。

愛は勝つでは

必ず最後に愛は勝つ

と言い切っています。

なんてポジティブ。

大変きらきらした言葉たちです。

 

対して『どんなときも。』のサビ。

どんなときもどんなときも

僕が僕らしくあるために

「好きなものは好き!」と

言えるきもち抱きしめてたい

言えるきもち抱きしめてたい……

言えるきもち抱きしめてたい……

そんな応援歌ある?

サビですよ。

サビ。

一番決めるところなんです。

中島みゆきだってサビの第一声は力強く『ファイト!』ですよ。

それに対して、『言えるきもち抱きしめてたい』って。

言えるきもち抱きしめてたい』って……

 

よくよく考えたら応援歌のサビが『どんなときもどんなときも』くり返すのも結構、なあれです。

『絶対』とか『必ず』とか『四六時中も好きと言って』とかじゃなくて『どんなときも』って。

二回『どんなときも』繰り返すのも、こう『僕は絶対頑張るんだ』と言い聞かせてるみたいじゃないですか。

絶対、この歌詞に出てくる人物は、スポーツバーで日本代表とか応援しませんし、LDHとかにも入社しません。

 

 

 

 

・応援歌?『どんなときも。』

 

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オオカミ少年) 

 

初め、疑問に思った僕は、「いやいやサビだけあえてそういう形にしてるだけで、通して聞けば、ポジティブオーラ満開幸せビーム!好き好きビーム!かもしれない」と自省し、改めてかみしめるように『どんなときも。』を拝聴してみました。

 

同世代の応援歌である愛は勝つのAメロ一発目

心配ないからね 君の想いが

誰かに届く 明日がきっとある

 応援歌として大正解。百点満点の歌いだしです。

 

『それが大事』の歌いだしは

負けないこと

投げ出さないこと

逃げださないこと

信じぬくこと

一番盛り上がるサビを、まずは持ってきます。テンションあがります。

 

さて、『どんなときも。』のAメロ一発目。

僕の背中は自分が思うより正直かい? 

マイナスすぎる。

スタートがマイナス過ぎませんか?

いや、正直かい?って。

聞く?歌いだし一発目から聞く?

応援歌で疑問から始まるのすごいですよね。

 

で、次の歌詞が

誰かに聞かなきゃ不安になってしまうよ 

まだマイナスやん。

まだまだマイナスの中やん。

応援歌で自ら『不安になってしまう』って言うのすご。

絶対下向いて歩いてますもん、この歌詞に出てくる人。前向いてません。

「がんばれー!」「まけるなー!」がセオリーなんじゃないんですか?

正直かい?』とか『不安になってしまうよ』とか僕の応援歌の引き出しにはまったくない単語ばかりが並ぶじゃないですか。

 

他にも

あの泥だらけのスニーカーじゃおいこせないのは

電車でも時間でもなく 僕かもしれないけど 

とか。

もしもほかの誰かを知らずに傷つけても

絶対譲れない夢が僕にはあるよ

とか。

ビルの間窮屈そうに 

ちてゆく夕陽に 焦る気持ちとかしていこう 

とか。

なんで、この歌が応援歌の代名詞のなっているか不思議なくらいの、輝きが無い言葉たち。

マイナスからのスタートなめんなと言わんばかりです。

 

本当に24時間テレビで流していい歌なの?

甲子園の入場曲になってよかった曲なの?

明るい曲調にだまされては駄目ですよ、みなさん。

歌詞だけみればドキュメンタリーとかで流すべき歌なんですから。

 

 

 

・『共感』『インパクト』『ドラマ性』

 

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しかし、この『どんなときも。』は今でも愛される応援歌なわけです。

きっと、当時だって「なんだこの歌」と思った人がおそらくたくさんいたのでしょう。

『思うより正直かい?』ですよ。

『抱きしめていたい』ですよ。

にも関わらず、今だって歌われる応援歌。

この「きらきら」したものがない歌詞で。

「がんばれ」も「まけるな」もない歌詞だけで。

 

人は、どうしてこの歌に励まされ続けるのか

 

それは、まさに槇原敬之というシンガーソングライターが未だに現役でいる理由そのものでしょう。

冒頭でお伝えした歌詞の力。

共感

インパク

そして、ドラマ性

それらの要素と応援歌の掛け合わせこそが、その時代の中で新しい応援歌のスタイルを確立させたのではないでしょうか。

 

例えば『共感

その時代に流行っていた応援歌のリリックたちは、歌い手たち自身が応援するように歌っていました。

それに対し、『どんなときも。』はまるで悩む自身の内面を表現した私小説のような内容となっています、

歌いだしの

僕の背中は自分が思うより正直かい? 

誰かに聞かなきゃ不安になってしまうよ 

も応援歌としてはネガティブすぎるようにも見えますが、こんな気持ちになった社会人の人、絶対いっぱいいますよね。

モラトリアムを終え、社会という立場で戦い、それまでアイデンティティーとして誇っていたものが、働く事によって忙殺されていく。

そんな共感、あるあるを見事に言語化してくれたのが、この曲だったとのでないでしょうか。

 

例えば『インパク

他の応援歌が『愛は勝つ』『それが大事』と歌という媒体で励ますゆえに『発信する歌い手』『受動する聞き手』の関係性を超えることがない一方で、『どんなときも。』の歌詞は喫茶店で仕事の愚痴を聞いて貰っているような『聞き手と同じ視点』という関係性を生み出しているのではないでしょうか。

ここまで、悩んでいる人たちに同じ目線で寄り添った応援歌は、その時代今よりも少なかったのだと思うのです。

 

例えば『ドラマ性

他の曲りも要素が少ないとは思うのですが、それでも、やはり、この曲で歌われてるのは『人生』であり『物語』であると感じるのです。

後ろを振り向いてしまいがちな若者が、それでも自分の信じる夢を持って頑張り続ける。

その具体的すぎる心理描写が私小説的な表現を生み出し、結果読ませる内容になって、歌への没入感を助長しているのではないでしょうか。

 

僕がこの歌を好きなのは、押しつけがましい応援ではなく、飾らない言葉、それこそ暗すぎる歌詞が、ネガティブな感情に陥りやすい僕にも、「がんばろう」という気持ちにさせるからなのかもしれません。

 

 

 

・『どんなときも。』って応援歌としては、なんか歌詞暗すぎじゃないですかって話

 

 

という訳で『どんなときも。』って応援歌としては、なんか歌詞暗すぎじゃないですかって話なのですが、

 

そのことによって『共感』『インパクト』『ドラマ性』を生み出し逆に応援歌として目立つ存在になったのではないか、というお話でした。

 

そして、それを成立させてしまう、マッキーの天才さよ。

(僕は常日頃、この人はもっともっともっと評価されていい人だと思ってます。『モンタージュ』とか『冬がはじまるよ』とかアイドルにカバーさせようぜ、マジで。ハマるぜ、たぶん。)

 

では、最後に、そんな愛される『どんなときも。』のカバー曲を紹介してお別れにしたいと思います。

なぜ、MAXが…… 

『即興小説とコントと朗読劇』開催中止のお知らせ

八月十一日に『common cafe』で開催を予定しておりました横林大々主催のイベント『即興小説とコントと朗読劇』を、主催者の一身上の都合により中止する運びとなりました。

楽しみにして戴いて皆様にお詫び申し上げます。

今回の中止に関しては今後の私自身の活動をもって皆様に返していきます。

本当に申し訳ありませんでした。

 

横林大々

『應典院モニターレビュアー公開座談会』感想と大反省

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 新年あけましておめでとうございます。

 今年もよろしくお願いします。

 

 

 

感想

 

 さて、みなさん。このブログの書き手である横林大々が、レビューを書いているのをご存知でしょうか。

 ツイッターの方では、何度か告知もしているのですが、実は今『應典院』さんという、お寺で行われる催事や公演などのレビューを書く、『應典院寺町倶楽部モニターレビュアー』の一員として記事を二本ほど書かせて戴いているのです。

 ……凄くないですか? こんな記事を書いていた人間が、ですよ。 

 分からないものですよね。継続は力。

 

 で、そんなレビュアーさんたちを一堂に会して話おうというイベントが1月7日の日曜日に開催されました。

 その名も、『應典院モニターレビュアー公開座談会』。開場は應典院さんの本堂でご本尊様の前で執り行われました。

 いやあ、場違い感が凄い。だって、カードキャプターさくらは、キモオタの嫁じゃなくて小狼くんの嫁やからな!言ってた僕がですよ。『應典院を俯瞰する』なんて固めのタイトルがついていたくらいの座談会。自分すら俯瞰で見れてない人間が、そんな恐れ多すぎる。

 ……などと、勝手に思い込んでいたのですが、蓋を開けてみれば、楽しい場面も多く、とても楽しいイベントでした。

 また、動画が上がるそうなので楽しみにしていてください。司会の泉さんにいじられ弄ばれている横林が見れると思います。

 

 ちなみに僕がなぜ、このようなレビュアーについて受けたかといえば、単純に「横林はこういうやつも書けるんやでマジで」という自己顕示及び外への宣伝の他なんでもなかったのですが、レビュアーの皆様の記事なんかを観ますと、まあ、こう自分の足りなさのようなものに驚きますね。

 作家という肩書は、まだ、その小説で大成していない自分が背負うには恥ずかしいくらいなのですが、それでも語らせてもらいますと、結局一人作業で、個人プレーなんですよね。推敲なんかは他の人の力を借りることだってありますが、結局小説を書くのは自分であり、自分だけのものでしかない

 けれど、レビューは、まず誰かの催事を介して、誰かに向けて発信するという一人作業の環から少し外れた部分のものであり、また同じ催事を別のレビュアーさんが書く事で書き手同士でも共有が起こり得る。

 それはまあ、普段の執筆活動にはない、「人との差異を知ることが出来る」心動かされる執筆体験となる訳です。楽しくないわけがありません。

 

(こちらに横林の書いたレビューを置いておきますのでお時間あれば是非見てみてください。結構まじめに書いています)

2017/8/4 横林大々:詩の学校・お盆特別篇「それから」レビュー – 應典院

2017/10/7-9 横林大々:あやめ十八番「三英花 煙夕空」レビュー – 應典院

 

 で、他の方のレビューを見ていますと、やはりそれぞれに味があり、色があり、文体があり、という感じで僕自身がレビュアーの中での立ち位置をどういったものにしていけばよいのかと悩んだりもしたのですが、こうやってブログ記事を書きながら、どうやら僕は学術的な知識も、物事の体系や位置づけも、正直あまりよくわかっていないので、分かり易さに徹し、自分が思った事を軽い文で書くのがいいな、と思いました。

 だって、あんな凄文(造語)の中に僕の「バンドじゃないもん!可愛いなあ」みたいな文章なんて、ぺらぺらじゃないですか。だったら、そのインスタント感を横林の色として打ち出してみるのが良いかなあと思ったのですよね。会の中で「レビュアーはアイドルである」という話がありまして。それぞれのキャラクターがそれぞれの持ち味を使って文章を書いて『推しレビュアー』が出来ると面白いよね、という意見だったのですが本当にその通りだなあ、と。

 僕のレビューはコンビニエンスでいい。そしてそれが持ち味でもいいなあと改めて自身の創作の立ち位置にも気づかされる機会となりました。(この会が刺激になったこともあって最近、小説やふせん短歌などの創作意欲が湧いています。重い文章は重い文章が書ける人が書けばいい。僕は短く、そして分かりやすいものを書く

 

 というような自身の気付きの場にもなった貴重な集まりでした。

 お越し頂いた皆様、本当にありがとうございました。

 とても有意義で楽しい会でした。

 

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大反省

 

 とまあ、感想はざっくばらんにこんなものなのですが、当記事で書きたかったのは、どちらかと言えば今から書く事です。

 あの、その、なんといいますかね。

 横林、打ち上げとかの酒の席で絶対失敗する!

 もう、これをね。

 これを言いたかったの記事なんです。

 人間力が弱い!

 いや、もう、これ言っとく!

 大きい声で言っとく!!

 僕は、もう、今後自分の主宰するイベントで打ち上げとかしません!

 なぜか!

 打ち上げで絶対失敗するから!!

 人見知り炸裂するから!

 薄い人間だから多方面の人と合わせるチャンネル数が少ないから!

 楽しくない感じにしちゃうプロだから!!

 

 今回もね、應典院さんのご厚意で、イベント後に新年会とレビュアーの親睦会みたいなものがあったわけですよ。

 でね、行くじゃないですか。

 楽しい会なんです。

 絶対に楽しい会。

 横林はね、27歳にして、酒の席で完璧な人見知りを繰り広げるわけですよ!

 なんだったら、レビュアーさんの中にはね、即興小説バトルというイベントでお世話になった方もいる!

 隣でめっちゃしゃべりかけてくれてるレビュアーさんもいる!

 同世代もいる!

 はい、チャンス。確変リーチきたこれ!

 横林ウーロン茶ちびちび飲んで喋らない!

 なんでやねん!

 んなんでやねん!!!

 アホけ!!

 アホけ!!!

 

 気を使ってはるんですよ、人生の先輩方が。

 でも、喋れない!

 なぜか。

 僕はみなさんの事、本当に興味があるんです!

 でもね、喋る入口が手札として少ないんすよ!

 なんかね、めっちゃくやしかった。

 その手札の少ない僕もくやしいし、そこから広げられない僕もくやしいし、本当、こうなんでレビュアーとしてよんでいただいたんだ、こんなに何もできない自分なのに、みたいなことをね、本当に思ったんですよね。

 

 どうすれば27歳、お酒の席が楽しく過ごせられるのか。お酒は苦手なんですよね。そんな中で、お酒の席で自分を出しながら、過ごせられるのか。

 

 そんな一連の流れを、レビュー風に書いてみたので、最後にお見せして終わります。お酒の席での振る舞いは最低でしたが、レビューを書く姿勢はあるという事を自戒もこめて書かせて貰います。

 

 

 

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○飲み会を俯瞰する~レビュアーから見た横林大々~

 

 横林は初め、どの場所に座るかで躊躇をする。ここに人間らしい哀しさが溢れていた。その男には人見知り、とりわけ異性に対する大きな苦手意識が心の中にあるようだ。しかしながら、ここで座ることに躊躇しようがしまいが彼にとって心の開かれない二時間が繰り広げられることには変わらない。

 横林が席に座ると、ソフトドリンクを注文して乾杯するのだが、どうやら男の心中に「乾杯でまず一番目に誰にも当たらないようにしよう」という思考が働く。自分なんかのグラスが乾杯の一発目の相手になるのは相手にとっていい気分はしないかもしれない。そう思うと、どうしても躊躇してしまうようだ。

 おそらく自尊感情の低さは、横林の学生時代に受けてきた異性からの仕打ちによるものが強いらしい。「いつも笑っていて気持ち悪い」というかつての幼馴染からの悪口は彼の中の全能感を破壊するのに十分な殺傷能力があったのだろうか。

 横林は、ちょうど真ん中の席で、二つに別れた会話の輪でどっちつかずの会話を聞きながら手前のからあげを食べ続ける。演劇の話は、かつて自分が脚本家を名乗って何も成し遂げられなかった古傷が痛み、会話の潤滑剤のようなものでも自分が夢見た景色が広がるようで寂しい思いを抱いてしまうようである。

 自分の矮小さと、才能のなさ、そしてトークスキルの無さが嫌になると、横林は開場についていたテレビをぼんやり眺める。どうやら新作のドラマのようだ。流し見していたのも束の間、なんと女優の門脇麦が主演の俳優と、ディープキスをしていたのだ。大変なディープキスを、だ。

 その時の男の顔は忘れられない。なぜなら「うわ、めっちゃディープキスしてるやん」の顔をしていたからだ。自分の矮小さと、才能のなさ、そしてトークスキルの無さに加えて、ディープキスをしているやんの顔。それに比べ、門脇麦はどうだろう。ディープキスである。

 私は、この対比こそが、この飲み会におけるテーマだと感じた。飲み会で失敗をする横林。そしてディープキスをする門脇麦。飲み会という磁場に発生した想定外の要素。これこそが、横林と門脇麦の出会いであり、横林を飲み会という日常から、ディープキスという非日常へ連れ去る要素となり得る。そう、この物語は、ボーイミーツガールなのである。

 人間関係、とりわけ女性に対して苦手意識のある横林が門脇麦という存在のディープキスをみることによって、始まる物語。ストーリー。ハイテクスト。

 もう世界には二人しかいない。横林と麦。麦と横林。そう、聡い読者ならこの先の展開も読めるだろう、横林の現実の物語からの離脱。すなわち、飲み会で相手にされない状態である。世界の構築を二人だけに向けてしまった段階で、他のレビュアーになきものとされる、これらは仕方がないものなのだ。

 麦の世界も、横林の世界もそれぞれ個として成り立つ世界である。決して交わる事のない二人。けれど二人の間にはディープキスを観た側と観られた側という共犯関係が存在する。しかし周囲の人間にはディープキスは無い。そこが大きな違いとなって飲み会終盤の、彼の孤立とつながっていくわけだ。

 滑り込む終電へ急いで駆けていった横林。彼と麦の世界は始まったばかりだが、彼が忘れてはならないのは、酒の席が苦手であるという現実が決して変わることはないという事実と、スーツの上に羽織っていたコートの存在である。そうして彼、いや私は帰路の途中で気付くのだ。

 行きよりも肌寒い装いに、俯瞰しなければいけないのは、自分自身ではないか、と。 

 

 

 

(参加者の皆様本当に、すみませんでした)

『ヘビロテ楽曲大賞2017』ベスト10

 

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(Ⓒヘビーローテーション)

 

 

 

年の瀬ですね。

どうも、横林大々です。

 

みなさんは2017年、どんな年でしたか?

僕は、まあ、こんな感じの一年でした。

 

sokkyoshosetsu.hatenadiary.jp

 

daidiary.hatenablog.com

 

楽しい!しんどい!!楽しい!反省!!

みたいな、そういう。

 

来年は、どんな一年になるんだろうなあ。

 

 

 

さて、当ブログでも2017年を振り返るような記事を書こうと思っていたのですが、まあ更新記事の少ないこと少ないこと。

 

という訳で、この記事では、横林が2017年『うおお、最高のチューンでは?』と思ってヘビロテしていた楽曲をベストテン形式で紹介していきたいと思います。

 

選考基準としては

・2017年に初めて出会った曲(2017年に発売でなくても良い)

とはいえ2017年度発売の曲が一つもないのは寂しいので『2017年発売部門』と『2017年以前発売部門』でそれぞれベスト5を選び、年間のベストワンを決める

という具合です。

 

曲を振り返りながら自身の2017年の事もかければと思います。

では、まいりましょう。

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私とスペドラ ~匿名劇壇『レモンキャンディ』の感想にかえて~

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・はじめに

 

シアトリカル應典院さんで毎年催されていた演劇祭「space×drama(通称スペドラ)」さんが今年、その幕を下ろすそうです。

 

僕自身も、劇的☆ジャンク堂さんへの脚本提供という形で多少なりとも携わらせたので、終わることに一抹の寂しさを感じます。

 

そんな多くの方に愛された演劇祭なのですが、実は公式サイトの方で、かつての出演者が思い出を語るブログが更新されているのです。

それが、こちら。

『私とスペドラ』

リレーブログ | 應典院舞台芸術大祭 space×drama ◯ スペースドラマ わ

 

僕自身は演劇から退いた身なのでブログを眺めるときは、ある意味部外者のような立ち位置で眺めていたのですが、どうしてもそのような形で見過ごすことができない記事を見つけてしまいました。

【私とスペドラ】―僕自体がスペドラ―【福谷圭祐】 | 應典院舞台芸術大祭 space×drama ◯ スペースドラマ わ

 

「匿名劇壇」福谷さんのブログ記事。
なんと僕の名前をだしてくれているのです。

福谷さんとは「新春大喜利」というイベントで何度かご一緒させてもらったのですが
(詳細については下記リンクより) 


何か、こんな風に書いてもらえるのはうれしいような恥ずかしいような気持ちになります。

 

上述したリンク先の記事にも同じような、いや、それよりもより深く思いの丈をぶつけたような内容を書いているのですが実は福谷さんの所属する匿名劇壇さんと僕が脚本を提供した劇的☆ジャンク堂さんは同じ年の「スペドラ」で上演した、言い替えれば戦い合った関係でして。

 

これまた上述したリンク先に書き殴っていることなのですが、見事に、その勝負には負けてしまいました。おそらく劇団という組織に所属していなかった僕の力不足が主な敗因なのですが、劇団に所属していないからこそ、彼らが優秀劇団を穫った時、僕は僕個人として完全に敗北をきした気分になりました。

 

公式さんのブログのまねごとをあえてこちらで記載させてもらえるとするならば、僕にとって『スペドラ』という演劇祭は演劇という媒体に片足だけ突っ込んでいた僕に完膚無きまでの『現実』を突きつけてきた存在です。

今となれば、ある意味それでも良かったのかもしれないですが、当時の心情たるや。一年近くは『スペドラ』と名のつくものから意識的に避けていました。

 

そんな僕の演劇的な断筆をよそに、匿名劇壇さんは関西小劇場界(そんな界があるのかは分かりませんが)で名を挙げていきます。

極めつけはOMS戯曲賞。福谷さんは脚本家として僕からは本当に遠い存在になってしまいました。
天上人ですよ、天上人。

 

で、そんな匿名劇壇さんが再びスペドラで公演を打つと聞いて僕はしばらく行くこともなかった應典院に再び足を運ぶこととなりました。
正直足取りは重く、「ああ、マジかー。マジでいくかー」という感情に苛まれたりはしましたが、おそらくこの機会を逃してしまえば二度ときっかけをつかめないまま、應典院さんも匿名劇壇さんも観に行かない事になってしまう、と思い、無事公演を観て現在に至りました。

 

さて、言うなれば僕のかつてのライバル(勝手に言ってる)だった福谷さんの公演。
せっかくなのでブログできちんと感想を書きたいと思い筆を取りましたが、せっかくの機会ですので、今回は僕と匿名劇壇さんとの歴史を掘り下げながら、『レモンキャンディ』に対して私的に思ったことを書き殴っていきたいと思います。

 

どうしてそこまで匿名劇壇さんにこだわるかって?
僕にとってのスペドラという現実は、匿名劇壇さんの存在そのものだったからだよ!

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