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横林大々のブログ

小説家、横林大々のツイッターアカウントです。こちらでは横林の宣伝や雑記を掲載します。

最近の寺田心君を見てると、ふと『パコと魔法の絵本』に出てくる室町って元子役を思い出しちゃったんだよなあ。

雑記

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・寺田心君はかわいそう。

26歳フリーター男性に言われる筋合いないと思うんですけど、それでも僕は声を大にせざるを得ない。
「寺田心君、超かわいそうじゃない?」って。

いや、言いたい事は分かるんです。あのあざとさ、男ぶりっこが炸裂してる部分。
僕もキツイですよ、正直見てて。

(この動画を見て溜飲を下げちゃったしなあ)

大泉洋「寺田心、お前調子乗んなよ」 映画の試写会で暴言吐くも2ちゃんで賞賛wwwwwww(動画あり)

だけど、彼だって、自分の意思で、ああいう事になった訳じゃないじゃないですか!

きっと周りの大人たちのね、期待に答えようとして、ああなってしまったんだと思うんです。

だとすれば、寺田心君も、或る意味被害者じゃないですか!
『子役』っていう劇薬のような残酷システムの!



・子役という「業」は繰り返す


いつの時代にも「子役と言えば…」で街の人に回答される「子役の代名詞的」なポジションが存在します。

先ほど、「同情するなら金をくれ!」の安達祐実さんなんてのもそうだったと思いますし、時代をさかのぼれば小林綾子さんや、杉田かおるさんも、その部類に入るのではないでしょうか。

男で言えば誰でしょうね。正統派で言えば神木隆之介とかかなあ。

そうそう。
その男の子の子役は
神木きゅん
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・えなりさん系
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の二パターンに分かれますからね。

(個人的に寺田心君のキツさは、えなりさん系なのに神木きゅん系のスタンスでいる事だと思います。)


しかし、子役の記憶が断片的なのはどうしてなのでしょうね。
時代を代表する子役はいるにも関わらず。

子役の記憶は不思議と「懐かしさ」と共に思い出されるように感じます。
「ああ、あったなこんなドラマ!」とか「ああ、やってたなこんなCМ」とか。けど、今にまでは続かないんです。
子役は子ども。いつかは成長して大人になります。今の姿のままじゃいられません。

感動的なシーンも、面白可笑しいシーンも子役がやれば見いってしまう。
それはやっぱり「子ども」がやっているからこそ。
「『子ども』なのに凄い」とか、「『子ども』なのに賢い」とか。なにをしても「子どもなのに」という前提で物事を見られます。

そういえば、松尾スズキさんが作・演をした大人計画の作品「ファンキー!?宇宙は見える所までしかない?」では、一世風靡した子役の娘が年を取りたくない一心で禁忌を犯し、最終的に年老いた姿に変わると言うショッキングなシーンもありました。
ファンキー!―宇宙は見える所までしかない
禁忌までは言い過ぎにしても、子役というシステムは制作者にとっても子役本人にとっても劇薬なのではないでしょうか。
外で遊んだり、ゲームをしたり、鼻くそを食べたりする自由な期間を割いて、「子役」という人格形成を行う訳ですからのは見方によっては残酷な場合もあるでしょう。

子役の演じる凄さを見てしまうと反面「どれだけの事を犠牲にしてきたのだろうな」と思います。
子役というものは人間の「業」なのかもしれません。


・「パコと魔法の絵本


さて、そこでこの作品を紹介したいのです。

中島哲也監督作
パコと魔法の絵本

監督は「嫌われ松子の一生」や「告白」で有名な中島哲也監督。
豪華なキャスト陣に、カラフルな世界観が印象的な笑って泣ける映画です。

そんな「パコと魔法の絵本」なのですが実はこの作品、原作が演劇なのはご存知でしょうか?
「MIDSUMMER CAROL?ガマ王子VSザリガニ魔人?」というタイトルで2004年と2008年に上演されました。

僕の大好きな劇作家「後藤ひろひと」さんの作品。


後藤ひろひとさんといえば、喜劇作家の第一人者。
「スプーキーハウス」や「ひーはー」といった勘違いが勘違いを呼びこむコメディ、「人間風車」や「ダブリンの鐘つきカビ人間」などのしっかりとした物語が味付けがされた作品群は観客を惹き込みます。

僕も一端の脚本書きだったのですが、「『スプーキーハウス』や『ダブリンの鐘つきカビ人間』みたいな展開は、どうやったら書けるんだ」などと考えながら創作をしていました。

そして「MIDSUMMER CAROL?ガマ王子VSザリガニ魔人?」も本当に良いお話。

ご本人公認のWiki「ひろペディア」内の「MIDSUMMER CAROL」の記事には、こう書かれています。

とってもとっても切ないお話
観劇された御母堂に「ひろちゃん子供死なせちゃダメ!」と怒られたとか。

・「パコと魔法の絵本」と子役システム


映画「パコと魔法の絵本」では、物語において重要な役割である「パコ」という女の子を「アヤカウィルソン」ちゃんが演じており、原作の「MIDSUMMER CAROL」でも演じるのは子役ちゃん。

そう、この物語の本筋は「子役システム」を多用したストーリー展開なのです。

ここで僕が前述した文を振り返りますと「子どもの泣き顔って反則」「子役というシステムは制作者にとっても子役本人にとっても劇薬」「子役というものは人間の『業』」などと書かれております。
このような意見を述べるからには「パコと魔法の絵本」及び原作の「MIDSUMMER CAROL」を手放しで「本当に良いお話」と褒めるのはどうなのか。

中にはこういう意見もあるかもしれません。「だいたい、人を殺して感動させるパターンってどうなの?」と。
「死」というのが劇的に別れを演出する方法ゆえ、多用され過ぎで「安直な展開」と思われがちという。

しかも、「子役」の「死」ですから。
ポーカーで言ったら役が揃っている状態ですよ。フルハウスフルハウス
 
ですが奥さん、聞いて下さい。
僕が「良いお話」と言っているのは何も「死」のシーンだけではありません。

そう、この作品。
あらすじだけ見れば凄く分かりやすい「死」に向かう作品なのですが、その実なかなかひねくれた構造なのです。


・元人気子役の『室町』

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パコと魔法の絵本』には、「妻夫木聡」さんが演じる『室町』という男がいます。

病院が舞台の『パコと魔法の絵本』なのですが、この「室町」は薬物依存症の入院患者。
その上何度も自殺未遂を繰り返している病院からしてみれば厄介な患者です。
看護師「タマ子」役の「土屋アンナ」や、医者の「浅野」役の「上川隆也」も困惑しています。

かつての「室町」は売れっこの子役。神木きゅん系。
しかし前述もしましたが、子役は子ども。いつかは成長して大人になる。今の姿のままじゃいられない。
彼もまた、「『子ども』なのに?」の呪縛に苦しめられるのです。

大人の俳優になりきれない彼は薬物による幻を見ます。
それは子役時代の彼自身。

「ねえ、僕死んじゃうの?」

過去の栄光が彼を苦しめます。

「みんな覚えてくれてないんだもん」
「あの頃はさ、みんな喜んでくれたのに。ガンで死ぬ子どもの役やってさ。
こうやって涙溜めてセリフ言ったら、みんな、日本中みんな泣いてくれたのに!」

かつての幻である子役時代の自分に苛まれながら。


・子役で泣かせる作品に元子役がいるという、ねじれ。


ここで少し考えて欲しいのです。
子役の娘が出てきて、子役の娘が中心で話が進む作品で、あえて、どうして「元子役の挫折したヤク中」を出すのでしょうか。

いじわるジジイ「大貫」はパコと出会って変わってゆきます。
物語の根幹にあるのは「一日しか記憶のもたない」というパコの設定です。
なんだったらこの物語はパコが「死」に至る事でクライマックスを迎えます。

にも関わらず、子役の演技で感動を生む作品にも関わらず。
「子役で挫折した俳優」を出す。しかも自殺未遂を繰り返し、ヤク中だという。

なんてひねくれた構造なのでしょうか!
物語の中で物語そのものをまるで否定しているかのような!
しかもよりによって元子役の「室町」は病気で命を絶つ子どもを演じて一世風靡したというではないですか。
皮肉が効き過ぎではないですか。

子役で泣かせる物語で、子役システムの「業」について触れる。
なれの果てを魅せる。

僕はこの「一筋縄ではいかない感じ」が好きでして、初めて見た時に「後藤ひろひとすげえなあ」と思ったのでした。
(それでまた感動させちゃうのが凄いですよね)


子役というシステムが残酷な事を僕達大人は十分理解している。
にもかかわらず、僕たちは「かわいい」とかなんとか言ってもてはやして。
「大きくなったら利用価値もないのにね」なんて心の奥底ではひっそりと思っていながら。

そういう意味では僕達だって「業」の共犯者。

後藤ひろひとさんがすごいのは、王道の子役システムで感動を呼ぶ作品内にも関わらず、そんな部分をセルフパロディしてしまう部分ではないか、と思うのでした。


・それでもタマ子は覚えている


ちなみに散々な元子役の「室町」。
物語内では、少し救われます。
それは土屋アンアさん演じる看護師「タマ子」によって。
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タマ子は子役であった「室町」を小さい頃から好きだったのです。

幼少の頃から人生に絶望していたというタマ子は室町がテレビに出ている時、それを眺めている時だけは、それらを忘れる事が出来た、と。
「みんなから忘れられている」と考えていた「室町」に、「私は忘れられなかった」とタマ子は伝えます。

「あんたはその子(タマ子)の夢だった。
やれよ…、やってくれよ、ザリガニ魔人!」


「見たがってんだよ…
その子(タマ子)が…」


大勢に忘れられても必ず誰かの心の中には残り続ける。
この物語におけるタマ子の存在は「後藤ひろひと」なりの子役システムに対する「優しさ」なのかもしれません。



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