横林大々のブログ

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ガガガSPは『元』青春パンクだって思っていたけれど

 

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これは…

 

 

 

・ 青春パンクという安直なカテゴライズ?

 

青春パンクという言葉が嫌いでした。別にそこ普通にパンクだけでいいんじゃないか、と。音楽に聡い人間ではないので、「それは違う」とか言われそうですが、パンクに青春を結びつけるきっかけとなったのはブルーハーツの台頭があるのように思います。

ストレートで分かりやすい歌詞。キャッチーなメロディ。聞かせるのではなく衝動の元に歌う様な声。ブルーハーツは弱者からのカウンターのような歌が多く、僕自身今でも人生のここ一番で背中を押してくれるような楽曲は大好きです。特に『ロクデナシ』なんて初めて聞いた時は震えましたね。

生まれたからには生きてやる

また、『キスしてほしい』や『ラブレター』などの愚直なまでの相手を想うラブソングは、世代に関係なく響くものだと思います。青春パンクっていうのは、そんなブルーハーツを起源に登場した言葉なのじゃないかなあと僕は思っていて。たぶん、ヒロトマーシーもこんな呼び方されるつもりで活動してないだろうし、下手したら嫌がる可能性もあるんですが、『わかりやすい言葉』や『愚直なまでの愛おしいという想い』などは、誰かに手にとってもらえるように分かりやすい『青春』って言葉でパッケージングされたのじゃないかなあ、と。『弱者からの立場』というのも社会を形成してない『若者の言葉』として歪曲されて『青春』に置き換えられた。…超嫌だなあ。

 

確かに実際、青春パンクとカテゴライズされる楽曲の中には、青春のど真ん中を歌ってるように思われる歌もたくさんあります。でも、どうも僕にはパンクというものを青春というくくりに置き換える必然性が感じれらない。『わかりやすい言葉』とか『愚直な想い』が『青春』なの?『弱い立場』の一発を、若者の立ち位置に無理やり引き摺り下ろして貼るレッテルが『青春』なの?

それは色んなバンドの『パンク』にも失礼だし、色んな人の『青春』にも失礼だし。とまあ、以前の僕はそんな事を思っていました。しかし、ある時、このブログの記事を見てから意識が変わっていったのです。

 

それは僕の大好きなバンド『ガガガSP』の公式ブログの言葉でした。

 

 

 

ガガガSPは『元』青春パンク?

 

ガガガSPと言えば、「『青春パンク』系のバンド」代表例としておそらく五本の指に入っちゃうようなバンドです。以下に代表曲を掲載しておきます。

・はじめて君としゃべった

はじめて君としゃべった

はじめて君としゃべった

NARUTOのエンディング主題歌だったので、知ってる人も多いはず)

・卒業 

卒業

卒業

 (超名曲。多分、青春パンクのイメージがついたのはこの曲の印象もあると思う)

・にんげんっていいな

(カバー。これも知ってる人は多いかも)

・「時代はまわる」

(ただただ好きな歌。)

 

そんなガガガSPを『青春パンク』と言うのには、やはり僕には違和感があった。例えば、コザック前田さんの癖のある唄声を『わかりやすい言葉』『愚直なまでの愛おしいという想い』と仮定して『青春』という安直なカテゴリーに当てはめてるのは分かりやすいですよ。説明も簡潔に行えるし。けど、それって思考停止じゃないか、なんて思ってしまって。だいたい、このガガガSPの曲は、『青春パンク』ではありません。『元』青春パンクなんです。

 

特にそう思ったのには、これから紹介する曲の影響があって。それが彼らの唄の中でも僕が最も敬愛する『国道二号線』というラブソングです。

 

 

 

・『国道二号線』から見た青春パンクという視点の矛盾?

 

国道二号線

国道二号線

 

まずは、是非一度拝聴して観てください。

 

「国道二号線」は歌詞の中にもある通り「月日が経つにつれ美化されていく思い出」そのものである。それは「国道二号線沿いに住んでいた君」に対する懺悔や感謝からも滲み出る。癖のある声は、そんなしがみつく男の語り部として最適。なんと格好悪い様。しかし、なぜか無性に惹かれてしまう。

青春では無く、かつて青春だったものに対して向けられた視点。

この歌詞を男なら笑って見過ごす事は出来ない筈だ(人生の超成功者は除くが)。あの人との夜。あの子の手の温度。思い出す自分の様は惨めで不細工、どうしようもない。けれど反比例するように思い出は彩度を増す。思い出は簡単に消えない。その分、色濃く。

コザック前田は、そんな男が思っても言葉に出せない感情を代わりに歌ってくれる。みっともない様を曲、それも美化された歌として提示してくれる。きっと歌の終わりに挿入された語りは色々な人の心にいる色々な「君」に代表して話してくれてるんだろう。願わくば「君よ幸せに」と。

 

以上を踏まえて僕は、大人がふと立ち止まって過去を望郷するような視点を感じ、これを『青春パンク』と呼ぶのは、おかしいよな。『元青春パンク』だよなあ。……なんて思っていました。あの言葉に出会う前までは。

 

 

 

 

・うるせえ!ガガガSPは青春パンクだろうが!

 

ある時何の気なしにみた『ガガガSP』のブログ内(上述したリンク先)に以下のような事が書かれており、僕は胸をふるわせたのです。

青春パンクは伝統芸能! と、言われるようになるまで頑張りたいよね。 分かりやすい80年代テイストの歌謡曲メロディーに、やっぱりテンポ早いほうがかっこいい。 歌詞は一切政治的なことではなく、情けなさや、恋愛。 やっぱり好きやわ。青春パンク

 

僕みたいな外野が騒ぎたてる前から、すでに本人たちは自分達のバンドが青春パンクと呼ばれることへの『答え』のようなものを導き出していた。それも前向きに、伝統芸能なんて言ってしまうくらいに。ならば外野が話す権利はもうないな。なんなら僕の方こそ、思考停止の状態だったんだな、と。

特に『情けなさ』は『青春パンク』なんだという考え方は、『国道二号線』という彼女だった女性への餞別の唄が『青春パンク』として百点満点の歌だと言い換えることが出来る。

僕は今まで額縁通りに『青春』という言葉と『パンク』という言葉を捉えて難しくこねくり回していたけれど、違うんだ。『青春パンク』は様式美だったんだ。

このブログの文章は、長年謎だったガガガSPが『元青春パンク』ではないかという考えに終止符を打ったのです。

 

青春パンクを聞くのに、理屈はいらない。なにが青春パンクとかそうじゃないとか、そんな事は超どうでもよくて、そこに国道二号線を聞いて感動したという気持ちがあればそれでいいんだよな。いや、もう、どうして僕は、そんなくだらない事に気付けなかったんだろう。

つーか、そういう屁理屈が、まるでそれこそ国道二号線に出てくるような彼女との付き合い方を心から後悔している男そのものじゃねえ、という。

「ものさし」で計れないんだよ。だけど、120度くらい変えてしまうくらいには素敵な出会いだったんだよ。

ここまで書いてきた文章なんて「しょうもない」で一蹴なんですね、これね。

という訳で、最後はこの動画を掲載してお別れです。

「君よ幸せであれ」

なんという多幸感。ぐちゃぐちゃ言ってきてごめんなさい。

 

いいもんはいい。

これで終わりだわ、うん。