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横林大々のブログ

横林大々のブログです。作家になるのが目標。こちらでは横林の宣伝や雑記を掲載します。

銀杏BOYZの東京

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東京に憧れがあります。
近畿圏内の地元に暮らして26年。
圧倒時な実家暮らしと相まって、いつからか都会というモノに憧れるようになりました。
キラキラとしたネオン。一日中動き続ける人の波。
流石に26年も無駄に年月を費やすと、近畿内の都会と呼ばれる場所には一通り足を赴くようになります。
しかし、やはりあの輝きには遠く及ばない。
それが、『東京』に対する僕の愛憎にも似た感情でした。

 


どうして僕自身が東京というものに、そこまでの気持ちを抱くようになったかと言えば、それこそ僕自身をこれまで形成してきたメディアの影響があるでしょう。
フジテレビの球体。ドラマもラブストーリーが起こるのは東京だし。スラムダンクですら湘南で関東圏だし。
それに比べてどうですか、この近畿圏内のコテコテした感じ。
吉本新喜劇て。ポコポコヘッドて。「いや、関西にはダウンタウンの尖った笑いがあるじゃないか」と言われても彼らは結局上京をして天下をとった訳で。
全てのメインカルチャーは東京に繋がる。東京には全てがある。

……こんなSNS社会において時代錯誤でしょうか。
だけど、やっぱり『東京』という言葉には魅力を感じるなにかがある。


ここで僕は一つ提示をしたい。タイトルで『東京』と名のつく曲、結構東京憧れを助長させるような歌が多いのじゃないか、と。

僕の中のステレオで、だけど捨てきれない魅力のある東京は、きっと、こんな曲たちの力から作られている。

ミスチル『東京』

くるり『東京』

桑田佳祐『東京』

やしきたかじん『東京』

地元に暮らして東京の「と」という字すらも掴めない変わり映えのしない毎日。
僕はこっそりとイヤホンを耳にはめて、音楽から感じられる微かな東京に憧れを感じていたのです。

しかし26年生きていれば経験ごとも増える。僕の数少ない友達や知り合いが東京で暮らし始めました。これまでは絵空事だった東京という概念が実態を持って僕の中に現れたのです。

ある人は言います。
「東京に行って急に何かが変わる訳じゃないよ」と。
ある人は言います。
「東京でキラキラしてるのは一部で、多くは会社と家を行き来しているだけだよ。」と。

東京に住む人たちは、東京が日常になってしまった。
僕の中のキラキラを作る装置だった東京が中身のないただのハリボテだと密告された気分でした。

ここで、僕は一つの、ある封印していた曲を思い出しました。
それが、銀杏ボーイズの『東京』です。

彼らの描く東京が僕は、とっても恐ろしかった。だって、銀杏の東京は装置としての東京すら全部飲み込んで空に消してしまっていたから。

東京は、東京という名前を冠して東京で夢破れて地元に帰った女性のことを描きます。

僕の中には東京は、いつまでもキラキラしていて、いつまでも憧れの装置でいて欲しかった。だから気がつけば僕は、この銀杏の東京を心の中で封印していました。


26歳になって、ある高校のクラブ仲間は結婚すると言いました。
別の仲間は今の仕事場に未来はないと転職を。
そして、小中からの幼馴染は「このままの自分でいいのか」とお酒の席で涙目になって語っていました。

あの頃の夢は破れて、思うようにいかなくて。それでも僕たちは生きていかなくちゃならなくて。それは東京だけでなく、すべての物事においても同じだと思います。


そんな心持ちになった時、僕は一つの事実を見つけました。この東京という歌は、すべてを消しさる歌ではなく、消えてしまったその後を優しく指し示す歌なんだと。

東京という場所で過ごしていた日々は結局バラバラになってしまった。
だけど、東京で過ごしたその日々は男の中で素晴らしい思い出となって、こんな曲となって現れる。

その思い出は事実なんです。憧れを抱いて経験した全ての出来事。それは、かけがえのない思い出になる。

思い出は憧れに変わって、きっと歌中の男、それから僕たちに新しいキラキラを作り出してくれるのだと思う。

憧れは消えた。僕たちが思い描いた東京は存在しない。

だけど、この曲だけは、優しく存在し続けるのだと思う。



ただし、峯田。
悪いけど、このPV作ったのだけは未だに許してないからな。