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横林大々のブログ

小説家、横林大々のツイッターアカウントです。こちらでは横林の宣伝や雑記を掲載します。

『Peace!』から見たSMAPという当たり前の存在

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・はじめに

 

2016年。

SMAPが活動を停止した。

 

解散と書かないのは、ひょっとしたらこれから先、何かのきっかけで復活するかもしれないからだ。

その小さな望みを少しでも信じたくて、この記事を書いている。

 

 

 

SMAPという当たり前の存在

 

現在26歳。

当時、僕が小学生だったころ、SMAPの人気は絶頂だった。

 

クラス中の誰もが、SMAP×SMAPを見ていたし、リリースした楽曲は低学年の子でも口ずさんでいた。

 

関西圏に暮らしていれば、上沼恵美子の番組で執拗にSMAPについて取り上げていたのも、あるあるの風景として語られるであろう。

(決してたかじんではない。)

 

『国民的』という言葉で形容される有名人は、スポーツに疎い僕からすればSMAP以外に知らなかったし、これから先も更新されることは、おそらくない。

 

僕にとって、いや国民にとってSMAPというのは当たり前の存在だったし、そのことはある種、エンターテイメントという精神安定に一躍かっていたのだと思う。

 

しかし、あたりまえなんてものがないのが世の常で。

 

SMAPは解散した。

解散してしまった。

 

「いや、無いでしょ、この先、そんなことは」

そんなイメージを現実はいとも容易く打ち破った。

 

2016年。

僕はSMAPの解散を聞いて、無限にあるように思えたエンターテイメントの底を見てしまった気がした。

 

恐れをなした僕は、その宙ぶらりんなままでは、大好きだったエンターテイメントに真逆の感情を抱いてしまいそうだったので、「これでは駄目だ」と本格的に小説家になることを目指すようになる。

 

もう、需要するだけでは不信が拭えない。

自分のエンタメを安定させる何かを供給したい、当たり前があたりまえじゃなくなる、この世の中で。

……なんて、えらそうなことを思った。

 

『国民的』は『日常』とも置き換えることができるのだろう。

では、その『日常』が無くなっている現状は、ある意味安定の無い『非日常』とも言い換えることが出来る。

 

2017年。

僕たちは非日常の中で生き続ける。

 

激動の世界情勢とか、予想もしなかった角度からの芸能とか、そんなものを背負いながら。

 

そんな折に聞く、彼らの『Peace!』という楽曲。

それは、かつて持っていた歌の意味以上のものを持つようになったのかもしれない。

 

そんなことを僕は、ふと思った。

 

 

 

SMAPの「Peace!」

 

ずっと前から「良い曲」と思っていて、ワクワクするし勇気付けられるのだけど、どうして好きなのかを考えて一つ分かった事がある。

 

peaceって平和以外にも平穏って意味もあるんだけど、この曲は国民的アイドルが平穏の良さを歌うからこそ響くのかもしれないな、と。

 

「しあわせはこんなところにある」と僕達の平穏を歌ってくれる。

「ツツガない今日が大事」と彼らが平穏の方まで降りるから、この曲は説得力を増す。

 

「Peace!」の良さは彼らと平穏な僕たちの間にある「距離感の良さ」。

国民的アイドルではあるのだけど時々「分かるよ」と平穏にやってきて肩を叩くのだ。

きっとそれが、かつて「Peace!」が持っていた楽曲の良さ 

 

けれど、今彼らは、かつての距離感を失い、遠い存在になってしまった。

彼らが日常の良さを歌ってくれたから勇気づけられた、明日からも頑張ろうと思い続けた人たちは、この非日常の世界を、どう生きているのだろう。

日常を「いいよ」と歌ってくれる国民的な存在が消えてしまったこの世の中で。

 

だから、彼らは待っているのかもしれない。

月が輝くのを、ただ、ひたすらに。