『どんなときも。』って応援歌としては、なんか歌詞暗すぎじゃないですかって話をさせて下さい。

これは、『どんなときも。』って応援歌としては、ちょっと歌詞暗すぎじゃないですかって記事です。

(同時に、にも関わらず自分たちの心に沁み込むのはなんでなんだ、という記事でもあります)

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 ・歌詞の天才『槇原敬之

 

 

以前、このような記事を書いた程、私は槇原敬之さんが好きです。

 

槇原さんの魅力と言えば『歌詞』。

そう、圧倒的な『歌詞』です。

 

私の好きな曲に『PENGUIN』というものがあります。

その歌詞、特にAメロの初めを見てもらいたい。

PENGUIN

PENGUIN

  • provided courtesy of iTunes

 

製鉄所のコンビナートは 赤と白の市松模様

君に見せるつもりだった ロケットの模型と同じで

もう君にも 見せることもないし この道も二人じゃ通らない

話もして キスもしたけど 出会わなかった二人

 

 

もはや、歌詞が『文学』。

一発目の歌詞に『製鉄所のコンビナートは 赤と白の市松模様』なんて言葉を紡ぎますか、普通。『製鉄所のコンビナート』ですよ、しかも『赤と白の市松模様』なんて比喩表現に繋げてるってどんなセンスをしているのか。

 

で、二行目の『君に見せるつもりだった ロケットの模型と同じで』がラブソングで定番の『共感』(あるあるです)からギリギリアウトくらいの表現なんですよね。というか凄い単語だな、これ。赤と白の市松模様のロケットの模型て。

マッキーの歌詞は固有名詞が『固有』という感じで形を伴って言葉として出てくるのですが、この固有名詞が『固有』過ぎるところに彼の詩の魅力が詰まっています。つまり『ないない』過ぎて、この歌が『アイデンティティを持った一人の男の人生』を追体験しているような感覚を伴うのです。圧倒的キラーフレーズ力。

 

しかし、『ないない』を挟んだ後にはサビで

 

誰も許してくれないなら 一緒に逃げようって泣いたよね

 

と歌い上げて、しっかり『許されなかった恋愛』としての共感(あるある)を挟むという。

インパクトと共感のツインタワー。

盤石。盤石で文学。無敵。

(本当に切ない歌なので是非聞いてみてください)

 

 

歌詞でいえば『手をつないで帰ろ』なんかも素晴らしいです。 

手をつないで帰ろ

手をつないで帰ろ

  • 槇原 敬之
  • J-Pop
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 

Aメロの初めから

 

君はナポレオンフィッシュ

水槽にへばりついて

何度呼んでも 降り返ってくれない

 

という『ナポレオンフィッシュ』という、ごつい単語で脳天をぶち殴ってきます。

すごい、ほのぼのした曲調なのに。なんというインパクト。

ですが、その後に描かれるのは水槽にへばりつく、何度読んでも振り返らない恋人の存在。一気にドラマが加速します。

その後の歌詞も是非見てください。

 

ほかの女の子に

ちょっと見とれてただけなのに

「ちょっとじゃないよ」って言うために

一回振り返っただけ

 

初めてのデートなわけじゃないけど

二人で見る人混みや街は特別で

 

読ませるねえ。読ませるねえ、マッキー。

 

マッキーの歌詞は『短編小説』です。物語性のあるエンターテイメント。

特に90年代に作られた珠玉のラブソングたちは掌編小説と言ってもおかしくありません、本当に。

表現が文学で、共感を呼んで、ドラマ性もしっかりと立っていて、これを小説と言わずしてなんと形容するのでしょうか。

 

そして、この『手をつないで帰ろ』は、サビのインパクトが絶大なのです。

 

なぁ こっちむいてーな

なぁ 機嫌なおしてーな

僕らの日曜日は夏休みほど長くない

なぁ こっちむいてーな

今君がどんな顔してるか

水槽の魚たちしか 知らないなんて

 

……ちょっと、かわいすぎませんか、この関西圏カップル。リア充末永く爆発しろって伝えたくなりますね。

(『僕らの日曜日は夏休みほど長くない』←ここの歌詞が完璧すぎます)

  

 

他にも『モンタージュ』『LOVE LETTER』『軒下のモンスター』『hungry spider』『24hr Supermarket』など歌詞が好きな歌を挙げればきりがありません。

(『線路沿いのフェンスに夕焼けが止まっている』なんて歌詞が、ばんと出てくるのが槇原敬之というアーティストの楽曲なのです。最高。)

 

 

 

 

・代表曲『どんなときも。』

 

さて、そんな槇原敬之の代表作と言えばどの作品でしょうか。

世界に一つだけの花』?

『もう恋なんてしない』?

 

いえいえ、それは、もう勿論、この歌です。

『どんなときも。』

 

(若い)

 

どんなときも。

どんなときも。

  • provided courtesy of iTunes

(引くぐらいカバー曲が存在しています) 

 

『どんなときも。』と言えば、応援ソングとして有名過ぎるくらいに有名な楽曲。

24時間テレビでランナーを応援するときなんかに『負けないで』に並んでよく歌われていますね。

槇原敬之は、この『どんなときも。』をもってして、第一線に躍り出たと言っても良いでしょう。

 

さて、『どんなときも。』が発売された1991年前後には、今でも有名な応援ソングがずらりとリリースされています。

例えばKANの『愛は勝つ』 

愛は勝つ

愛は勝つ

  • Kan
  • ポップ
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 他にも大事MANブラザーズバンドの『それが大事』

それが大事

それが大事

  • provided courtesy of iTunes

など。

ここからは生まれて一歳ごろの話なので憶測でしかありませんが、おそらくバブルというものがはじけ、不安定な時期に『がんばれ』と言った言葉が、世相に夏場のポカリみたいに染み渡ったのでしょう。特に先行きの見えない若者には真っすぐに響いた、と。

 

僕も幼少の頃から、この曲を知っていて暇さえあれば口ずさむような日々を過ごしていました。

「どんなときもーどんなときもー」と。

僕が、槇原敬之の楽曲に触れるきっかけも間違いなく、この曲からです。

 

 

 

 

・応援歌『どんなときも。』

 

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(松岡修造) 

 

しかし、です。

大人になって改めて『どんなときも。』をしっかりと聞いてみた時に、一つの疑問が浮かび上がりました。

「応援歌のわりに、歌詞が後ろ向き過ぎないか」と。

 

ZARDだってサビでは

負けないでもう少し

最後まで走り抜けて

と歌っているわけです。

愛は勝つでは

必ず最後に愛は勝つ

と言い切っています。

なんてポジティブ。

大変きらきらした言葉たちです。

 

対して『どんなときも。』のサビ。

どんなときもどんなときも

僕が僕らしくあるために

「好きなものは好き!」と

言えるきもち抱きしめてたい

言えるきもち抱きしめてたい……

言えるきもち抱きしめてたい……

そんな応援歌ある?

サビですよ。

サビ。

一番決めるところなんです。

中島みゆきだってサビの第一声は力強く『ファイト!』ですよ。

それに対して、『言えるきもち抱きしめてたい』って。

言えるきもち抱きしめてたい』って……

 

よくよく考えたら応援歌のサビが『どんなときもどんなときも』くり返すのも結構、なあれです。

『絶対』とか『必ず』とか『四六時中も好きと言って』とかじゃなくて『どんなときも』って。

二回『どんなときも』繰り返すのも、こう『僕は絶対頑張るんだ』と言い聞かせてるみたいじゃないですか。

絶対、この歌詞に出てくる人物は、スポーツバーで日本代表とか応援しませんし、LDHとかにも入社しません。

 

 

 

 

・応援歌?『どんなときも。』

 

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オオカミ少年) 

 

初め、疑問に思った僕は、「いやいやサビだけあえてそういう形にしてるだけで、通して聞けば、ポジティブオーラ満開幸せビーム!好き好きビーム!かもしれない」と自省し、改めてかみしめるように『どんなときも。』を拝聴してみました。

 

同世代の応援歌である愛は勝つのAメロ一発目

心配ないからね 君の想いが

誰かに届く 明日がきっとある

 応援歌として大正解。百点満点の歌いだしです。

 

『それが大事』の歌いだしは

負けないこと

投げ出さないこと

逃げださないこと

信じぬくこと

一番盛り上がるサビを、まずは持ってきます。テンションあがります。

 

さて、『どんなときも。』のAメロ一発目。

僕の背中は自分が思うより正直かい? 

マイナスすぎる。

スタートがマイナス過ぎませんか?

いや、正直かい?って。

聞く?歌いだし一発目から聞く?

応援歌で疑問から始まるのすごいですよね。

 

で、次の歌詞が

誰かに聞かなきゃ不安になってしまうよ 

まだマイナスやん。

まだまだマイナスの中やん。

応援歌で自ら『不安になってしまう』って言うのすご。

絶対下向いて歩いてますもん、この歌詞に出てくる人。前向いてません。

「がんばれー!」「まけるなー!」がセオリーなんじゃないんですか?

正直かい?』とか『不安になってしまうよ』とか僕の応援歌の引き出しにはまったくない単語ばかりが並ぶじゃないですか。

 

他にも

あの泥だらけのスニーカーじゃおいこせないのは

電車でも時間でもなく 僕かもしれないけど 

とか。

もしもほかの誰かを知らずに傷つけても

絶対譲れない夢が僕にはあるよ

とか。

ビルの間窮屈そうに 

ちてゆく夕陽に 焦る気持ちとかしていこう 

とか。

なんで、この歌が応援歌の代名詞のなっているか不思議なくらいの、輝きが無い言葉たち。

マイナスからのスタートなめんなと言わんばかりです。

 

本当に24時間テレビで流していい歌なの?

甲子園の入場曲になってよかった曲なの?

明るい曲調にだまされては駄目ですよ、みなさん。

歌詞だけみればドキュメンタリーとかで流すべき歌なんですから。

 

 

 

・『共感』『インパクト』『ドラマ性』

 

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しかし、この『どんなときも。』は今でも愛される応援歌なわけです。

きっと、当時だって「なんだこの歌」と思った人がおそらくたくさんいたのでしょう。

『思うより正直かい?』ですよ。

『抱きしめていたい』ですよ。

にも関わらず、今だって歌われる応援歌。

この「きらきら」したものがない歌詞で。

「がんばれ」も「まけるな」もない歌詞だけで。

 

人は、どうしてこの歌に励まされ続けるのか

 

それは、まさに槇原敬之というシンガーソングライターが未だに現役でいる理由そのものでしょう。

冒頭でお伝えした歌詞の力。

共感

インパク

そして、ドラマ性

それらの要素と応援歌の掛け合わせこそが、その時代の中で新しい応援歌のスタイルを確立させたのではないでしょうか。

 

例えば『共感

その時代に流行っていた応援歌のリリックたちは、歌い手たち自身が応援するように歌っていました。

それに対し、『どんなときも。』はまるで悩む自身の内面を表現した私小説のような内容となっています、

歌いだしの

僕の背中は自分が思うより正直かい? 

誰かに聞かなきゃ不安になってしまうよ 

も応援歌としてはネガティブすぎるようにも見えますが、こんな気持ちになった社会人の人、絶対いっぱいいますよね。

モラトリアムを終え、社会という立場で戦い、それまでアイデンティティーとして誇っていたものが、働く事によって忙殺されていく。

そんな共感、あるあるを見事に言語化してくれたのが、この曲だったとのでないでしょうか。

 

例えば『インパク

他の応援歌が『愛は勝つ』『それが大事』と歌という媒体で励ますゆえに『発信する歌い手』『受動する聞き手』の関係性を超えることがない一方で、『どんなときも。』の歌詞は喫茶店で仕事の愚痴を聞いて貰っているような『聞き手と同じ視点』という関係性を生み出しているのではないでしょうか。

ここまで、悩んでいる人たちに同じ目線で寄り添った応援歌は、その時代今よりも少なかったのだと思うのです。

 

例えば『ドラマ性

他の曲りも要素が少ないとは思うのですが、それでも、やはり、この曲で歌われてるのは『人生』であり『物語』であると感じるのです。

後ろを振り向いてしまいがちな若者が、それでも自分の信じる夢を持って頑張り続ける。

その具体的すぎる心理描写が私小説的な表現を生み出し、結果読ませる内容になって、歌への没入感を助長しているのではないでしょうか。

 

僕がこの歌を好きなのは、押しつけがましい応援ではなく、飾らない言葉、それこそ暗すぎる歌詞が、ネガティブな感情に陥りやすい僕にも、「がんばろう」という気持ちにさせるからなのかもしれません。

 

 

 

・『どんなときも。』って応援歌としては、なんか歌詞暗すぎじゃないですかって話

 

 

という訳で『どんなときも。』って応援歌としては、なんか歌詞暗すぎじゃないですかって話なのですが、

 

そのことによって『共感』『インパクト』『ドラマ性』を生み出し逆に応援歌として目立つ存在になったのではないか、というお話でした。

 

そして、それを成立させてしまう、マッキーの天才さよ。

(僕は常日頃、この人はもっともっともっと評価されていい人だと思ってます。『モンタージュ』とか『冬がはじまるよ』とかアイドルにカバーさせようぜ、マジで。ハマるぜ、たぶん。)

 

では、最後に、そんな愛される『どんなときも。』のカバー曲を紹介してお別れにしたいと思います。

なぜ、MAXが……